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筑豊 電気鉄道
本 社所在地
福岡県中 間市鍋山町1番6号
設  立
1951 (昭和26)年2月15日
資 本金
4億9千 万円
公 式webサイト
http://www.chikutetu.com/

筑豊直方駅 2009.12

筑豊直方駅 2009.12

1.北九州都市圏と筑豊電鉄
 北九州市にはかつて西日本鉄道(西鉄)の北九州線がインターアーバンとしての路面電車網を広げ、最盛期には営業キロ44.3km、1日当たり45万人以 上の輸送人員があった。 これは同時期の西鉄大牟田線(現・天神大牟田線)よりも利用者は遙かに多く、まさに西鉄の屋台骨は北九州線が支えていたといっても過言ではない状態であっ た。しかしその後の北九州工業地帯の相対的な地位の低下に伴い北九州市は人口減少に陥り、またモータリゼーションの進展や並行するJR鹿児島本線の増発や 新駅設置などの輸送改善の影響によって西鉄の北九州線の経営は急速に悪化し、1992年3月までには路線の殆どが廃止されてしまった。
 その西鉄北九州線から分岐し一体的な運行が行われていた筑豊電鉄は、専用軌道によって北九州の都心部と郊外を結ぶという役割が幸いし生き残ったが、 しかし乗降客数はピーク時よりも大きく減って厳しい経営 を余儀なくされている。そもそも筑豊電鉄は福岡までの路線延長を目論んで設立された会社だった。もしその延伸が実現していれば福岡県の交通網の展開が今 とは大きく異なる展開を見せていたと思われるが、現在はその代わりとでも言うべき西鉄の高速バスが縦横無尽に路線網を広げ福岡〜北九州間でも充実した輸送 を行っている。
 筑豊電鉄の起点、黒崎地区は北九州市の副都心として開発が進められてきたが、近年小倉地区に都心機能を集中させる戦略がとられたことでその地位は 以前より低下している。その1つの象徴的な出来事が「黒崎そごう」の閉店(2000年12月)で、その後井筒屋が後継テナントとして出店したものの黒崎地 区の集客力を大きく低下させる要因となった。
 このような状態のため、筑豊電鉄が小倉地区まで乗り入れていないことが大きなデメリットになっているように思われる。そうでなくとも福岡の博 多・天神地区の吸引力が強まっているだけに黒崎をターミナルとしている中途半端さが目立つ。西鉄北九州線の黒崎〜小倉間だけでも存続させて筑豊電鉄が 小倉まで乗り入れを行っていれば、筑豊電鉄のみならず小倉地区の都心部の活性化にも繋がったのではないかとも思われる。北九州市当局は渋滞緩和のために短 期的 な視点と発想で路面電車廃止の流れを推し進めてしまったように思えてならない。もちろん事業者の西鉄側にも軌道事業を継続するという熱意に欠けていたこと も大きいと思う。結果的に 筑豊電鉄は都心側のターミナルの制約によってその前途が厳しくなったと言えるのではないだろうか。


▼50年前「夢の電鉄」案 北九州−筑豊−福岡1時間  (2004年8月25日『読売新聞』夕刊)
計画図に3ルート ――筑豊電鉄倉庫で発見
 北九州工業地帯から筑豊の炭田を経由して商都・福岡市までの約57キロを約1時間で結び、「夢の電鉄」プランと呼ばれた「筑豊電気鉄道」(本社・福岡県 中間市)の約50年前の鉄道計画図が見つかった。エネルギー革命による筑豊の斜陽化などが原因で、実際には現在の北九州市八幡西区〜福岡県直方市間の約 15キロで終わったが、郷土史家は「三都連結という壮大な構想だった。特に高度成長期の筑豊を知るうえで貴重な資料」としている。
 当時、北九州の5市(門司、小倉、八幡、若松、戸畑)が87万人筑豊地方には現 在の倍近くの77万人福岡市に54万人が 居住し、三大都市圏を形成していた。
 計画図は2種類で、いずれも1メートル四方。同社役員が今春、筑豊中間駅(中間市)近くの同社倉庫を整理中に見つけた。
 1つは、「筑豊電気鉄道建設線路図 昭和31年11月」。八幡西区黒崎を起点に中間、直方、飯塚市を経て龍王山をトンネルで抜け、篠栗、粕屋両町を通っ て国鉄博多駅(現JR)に至る。直方、飯塚駅のほか、炭鉱に近い小竹町勝野、飯塚市目尾(しゃかのお)などで駅を設置。戦後復興の基幹産業だった「石炭」 が計画の背景にあったという。
 もう1つの計画図は3ルートあり、「線路図」の案のほか、黒崎と直方を結んだ後、<1>宮田、若宮町から福間町に出て、古賀市、新宮町と南 下しながら福岡市東区に入り、現在の地下鉄・呉服町駅付近へ<2>飯塚市からトンネルで宇美町へ南下し、博多区を北上しながら博多駅へ――を 記載。福岡市へ達するには、どのルートが効率的かを検討したとみられる。
 計画図作成直後の1957年、同社に入社した元常務の今林明弘さん(70)は「銀行から建設資金の融資を受ける際の説明資料ではないか」と分析。元飯塚 市歴史資料館長の深町純亮さん(79)は「筑豊地方には、北九州、福岡両都市と1本でつながる線路はなかった。どの地域に鉄道の需要を見出そうとしていた かもうかがえる」と話している。

<筑豊電気鉄道>1951年に西日本鉄道(福岡市)が出 資して設立。黒崎〜直方間を第1期、直方〜飯塚間を第2期、飯塚〜福岡間を第3期とし、快速電車による複線化を目指した。工事費は35億8,000万円。 60年度の全線開通を見込んでいた。71年、直方から福岡までの建設を断念。現在は黒崎駅前〜直方間で営業している。


▼筑豊電鉄線に34年ぶり新駅 新木屋瀬駅、4月下旬  (2004年2月14日『西日本新聞』)
 筑豊電気鉄道(福岡県中間市)は13日、筑豊電鉄線に「新木屋瀬駅」(北九州市八幡西区木屋瀬一丁目)を設ける、と発表した。既に工事に入っており、4 月下旬に営業開始する。1日当たりの乗降客は620人の見込み。同鉄道が新駅を設けるのは1970年12月以来、34年ぶりとなる。総工費は約2,900 万円。
 新駅は、筑豊電鉄線の楠橋駅(同区楠橋下方三丁目)と木屋瀬駅(同区木屋瀬五丁目)の間に新設。地元からの要望があり、住宅整備が進み今後の需要増が見 込めるエリアという理由などから決定した。黒崎駅との間を所要時間25分、運賃350円で結ぶ。
 同鉄道の乗降客数は74年度に1日当たり5万7千人だったのをピークに減少傾向が続いており現在、同1万9千人。新駅設置で歯止めをかける狙い。駅は無 人駅で同線で21番目。
※上記記事の乗降客数が現在1日当たり1万9千人2万9千人の誤りではないだろうか。(下記表を参照)

▽筑豊電鉄の輸送人員数の推移

1985 年度
1990 年度
1995 年度
2000 年度
2005 年度
2006 年度
2007 年度
2008 年度
2009 年度
輸 送人員数
15,259 千人
11,947 千人
9,827 千人
7,733 千人
6,013 千人
5,962 千人
5,909 千人
5,751 千人
5,367 千人
(1 日当たり)
41,805 人
32,732 人
26,850 人
21,186 人
16,474 人
16,334 人
16,145 人
15,756 人
14,704 人
(『鉄道統計年報』より作成)

▽駅別1日平均乗降人員の推移 (単位:人)
駅  名
営 業`
2007 年度
2009 年度
2011 年度
黒 崎駅前
0.0
9,426
9,557
8,500
西 黒崎
0.2
127
124
158
熊   西
0.6
748
722
620
萩   原
1.7
1,266
1,268
1,192
穴   生
2.3
1,438
1,397
1,225
森   下
2.8
534
501
526
今   池
3.7
1,318
1,353
1,475
永 犬丸
4.5
1,417
1,447
1,346
三ヶ 森
5.0
2,659
2,653
2,563
西   山
5.7
517
516
372
通   谷
6.7
2,376
2,377
2,196
東 中間
7.2
829
822
721
筑 豊中間
7.9
1,189
1,186
1,023
希 望が丘高校前
8.8
1,148
1,140
1,096
筑 豊香月
10.2
806
788
715
楠   橋
11.5
522
517
500
新 木屋瀬
12.1
176
161
204
木 屋瀬
12.6
972
961
986
遠 賀野
13.9
499
488
399
感   田
15.2
432
413
439
筑 豊直方
16.0
1,027
1,019
908

29,426
29,410
27,164
※西鉄エージェンシーのwebサイト等より作成

以下作成中」

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