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国道 121号線と野岩羽線構想
R121会津縦貫北道路・大峠道 路

概要
【野岩羽線】
会津縦貫 道路南線
栃木西部・会津道路

会 津縦貫道路北線 大峠道路 
喜多方 付近  日中線  日中付 近  大峠米 沢方付近

0.概要
 その昔野岩羽線構想と云うものがあった。
  今野岩鉄道会津鬼怒川線として運営されている第三セクター路線があるがこれは鉄道敷設法別表に掲げる予定線のうち第33号の「栃木県今市ヨリ高徳ヲ経テ福 島県田島ニ至ル鉄道及ビ高徳ヨリ分岐シテ矢板ニ至ル鉄道」(1922年公布の鉄道敷設法(新法))の一部区間である。この線区は北側では会津線・只見線・ 磐越西線を経て同表第26号の「山形県米沢ヨリ福島県喜多方ニ至ル鉄道」の一部である日 中線,南側では日光線を経て同表第35号の「栃木県鹿沼ヨリ栃木ヲ 経テ茨城県古河ニ至ル鉄道」と結び,これらを以て山形県米沢市と茨城県古河市を結び奥羽本線と関東とを短絡する東北縦貫鉄道,野岩羽線構想の一部を形 成していたので ある。
 詰まり古河市で東北本線と別れ直進して奥羽本線の米沢と結び東京から羽前内陸地方更には羽後内陸を直結しようという計画があったのであ る。今現在曲がりなりに東ら伊勢崎線・日光線を経由して今市へ,則ち東京から古河経由(正確には東武新古河駅は古河市の川向こうにあって日光線も古河市内 は経由し ない)で日光市の今市駅へ至り,此処から更に東武鬼怒川線・野岩鉄道会津鬼怒川線・会津鉄道・JR只見線の各線を乗 り継い で会津若松駅へ至る事が出来る。更に会津若松からは磐越西線経由で喜多方迄辿る事も可能と成っている。直流電化・非電化・交流電化と電化方式も様々である が浅草と喜多方は一応一本の鉄路で結ばれていると云えよう。一方で喜多方と米沢の間の鉄路は日中線の建設で一部開通に漕ぎ着けたものの結局廃止となり結局 は全通は実現しなかったのである。
 大体に於いて米沢・会津若松(や松本)等江戸期 (やそれ以前から)の古い城下町で明治政府の道府県行政の中,県庁所在地から外されて嘗ての栄光に比して衰退した街は多いように思えるのだが,米沢と若松 が直結されてたらどうなったかと思わなくもない。(同様に終ぞ鉄道の本線が通らなかった松本が,上田辺りと旧中仙道に沿って結ばれていたらどうであったで あろう?)

 ともかくも現代に於いてこの野岩羽線構想にそって国道121号が指定されており,更にその改良工事として地域高規格道路の栃 木西部・会津南道路(候補路線),会津縦貫南道路(計画路線・一部区間整備及び調査)及び会 津縦貫北道路(一部区間整備)が指定され,R121大峠道路が 工事中,一部開通と成っておりして嘗ての鉄道計画を高規格道路で代替しようとしている。


上の図は宇都宮から熱塩加納付近迄連続してるけど更に今市から米沢迄の地図もあり。行政としても宇都宮で東北道と岐れて米沢に向かう道路を視野に入れているのは明らかであって心強い♪
ソース:福島県

一部区間では改良工事も成されている。此処では取り敢えず会津縦貫北道路 大峠道路をレポしてみたいと思う。

1.会津縦貫北道路    



09.04
こ の辺だったかと。

会 津縦貫北道路の喜多方―塩川 来月6日に開通

 福島県喜多方市と会津若松市を結ぶ高規格道路「会津縦貫北道路」(13.1キロ)の喜多方―塩川IC(インターチェンジ)の4.7キロが11月6日に開 通する。
 整備を進める国土交通省郡山国道事務所によると、喜多方―塩川ICは暫定2車線。会津縦貫北道路は既に塩川―湯川北ICの3.2キロが開通し、並行する 国道121号の交通混雑の緩和につながると期待されている。
 未開通区間について郡山国道事務所は、湯川北―会津坂下河東IC(仮称)の2.2キロは2013年度中の開通を計画。会津坂下河東IC―会津若松市の 3.0キロは15年度中の開通を見込んでいる。

河北新報
2011年10月27日木曜日

喜多方IC付近 平面交叉!?




2.大峠道路     
様々にレポされる大峠。
現在の道路は本来の大峠から遠く離れてその直下を走らないのでちょっと語弊があるように思う。桧原峠が抛棄されて白布峠に移った(両峠の位置関係はこ ちら)と云う表現が赦されるなら,(旧)大峠は(事実上)廃棄され(新)大峠に移ったと云うべきか。そもそも下地図でも判るように沢 が1本隣である。

陸奥国会津と出羽国置賜を結ぶR121であるが,旧道の米沢街道は既に通行不能区間となっている。
新しく掘られた大峠トンネル経由が現道であるが2009年4月時点で未だ未供用区間が二箇所程残っている。

喜多方市街方面付近   
並木を伴った整備済みの2車線道路である。


大峠の項冒頭の地図の下の方にAとBと書かれている地点があるがその付近の拡大図。

未完成のA地点の様子。既に最後に敷設されるものと思われる青看板が設置されている。白線も未だなのに。。
09.04
完成間際区間の末端区間。図中B点程で舗装が途切れ以遠は未だ整地済みだが未舗装の築堤が続くのみ。
09.04

現在はr333を経由して分断部分が接続されている。
途中先行供用されてる区間があるけど通らなかった。。米沢から喜多方方向へ走っていた我々は,特に運転手のにぬけんは明るい内に甲子越えを通りたくて急い でいたのである。
も う一度時間のある時に通って,廃止になった鉱山跡の復活の可能性(←段々鉄道貨物の専用線の廃止跡を巡って復活するかぁ~と嘆息してるのと同じノリになっ てきたw)を探りたいところ。熱塩加納や大峠には廃止になった鉱山が有ったらしい。現在は不況であるけど何年か後に途上国等の経済発展によって再び猛烈な 資材インフレが発生して日本の廃鉱山迄再開される程鉱物価格が暴騰するやも知れぬし。

 日 中線      

『国鉄監修 交通公社の時刻表』1977年7月号より

日中線は,磐越西線の喜多方駅と耶麻郡熱塩加納村(現在は合併して喜多方市)の熱塩駅を結んでいた国鉄の鉄道路線である。典型的な閑散区間の盲腸 線であり, 1980年の国鉄再建法施行を受けて特定地方交通線に指定され,1984年に廃止された。線名は終点の熱塩の北方にある日中温泉に由来するが日中迄の延伸 も叶わなかった。日中線は改正鉄道敷設法別表第26号に規定する予定線「山形縣米澤ヨリ福島縣喜多方ニ至ル鐡道」の一部で、日光線・野岩線・会津線と結ん で東北地方南部を縦貫する野岩羽線構想の一翼を担うはずであったが遂に実現せず終わる。これが実現していれば少なくとも盲腸線では無く,ひょっとすると磐 越東線や米坂線,姫新線程度の重要度(改良しないとああなる。。),巧く行けば釜石線や肥薩線程度の重要度(まあ巧く行ってもこの程度かとw)で存続して たかと思うが残念である。呼子線や中津川線等とともに開通時を見てみたかった路線の一つ…。否,鉄建公団の手に掛からなかったと云う意味では大間線的な 「開通時を見てみたかった」類型となるかな。。果たして日中からどのルートで米沢に抜けるつもりだったのか。

其れは兎も角廃止されて20年以上経った現在,熱塩駅の洒落た駅舎が保存されラッセル車と旧式車輌が構内で保存される等してお り,09.04に偶々大峠道路を走破後見かけて訪れた際には,恰度桜の見頃な週末との事もあって結構集客があった。是非おカネを落とそうと周囲を見回して も自動販売機一つ無く1円も落とすこと能わずであったが普段は殆ど来訪者もないのであろう。大峠道路が全通したら此処も更に通過交通が減ってしまうと思わ れる。

現在の熱塩駅の様子。日中線記念館となっている。
09.04
昔のホーム側からの駅舎の様子。
09.04
記念館案内
09.04

現在のバス運行時刻表(会 津バス)

日中線が辿り着けなかった日中千石沢迄の運転で一日6往復。日祝日運休で観光客の為に運行している訳ではないようだ。。

日中(熱塩)付近    

ここから(新)大峠に挑む。挑むと云っても現代のバイパス道路であるので快適である。


r333とR125の接続付近でr333は巨大なループを描いて下ってゆく。その上をR121BPがレベルを保ったまま直進方向 に延伸工事中である。
下のはr333とR125の接続付近から撮ったものであるがずっと下に見えてる道路も,米沢から喜多方方面に走行する場合この後,ループをぐるっと回って 降りて通るr333そのものである。
 



米沢方    
未だ残雪が残っていた
09.04
普洞沢3号橋
09.04
画面が汚いのはフロントガラスが汚れているせいである。。。
かくして米沢市へ八谷街道としてほぼ西からからアプローチする。東北中央自動車道はこ ちら参照。

(旧)大峠
調査には廃 道日記(Riding・Report)に詳しい。レポはこの辺(山行が)この辺(ORR)が代表的かな。

纏めると,もともと伊達政宗が会津の芦名攻めの為に開いた間道があって,明治政府の要請でナウマン博士らの調査でカオリンや石膏の埋蔵が確認。
そ の後三島通庸が赴任し,開いた会津三方道路の一つとして大峠に馬車道が開鑿され,更に区域としては山形県側にある鉱物資源は福島側の喜多方資本で鉱山開発 され,大峠はその 為の搬出路として育成された様だ。山形側に最期迄未舗装区間が残ったのもそういう訳で福島側と関係の深い鉱山・峠だったようだ。

またカオリン(白土)は尾根伝いに東へ行った場所にある福島市と米沢市の境の板谷付近でも採掘されたので地質的にも近いのかも知れぬ。
あちらは未だ操業中であったが,こちらは廃墟と成っているようである。交通の利便性が操業条件に影響を与えたなら奥羽本線の起点が福島ではなく矢張り古河 であればよかったのにねぇw
白土は製紙原料として使われ,板谷から は北沼の三菱製紙八戸工場へ輸送された様だがその会社は既に操業を停止している様だ。
廃道日記にはセメント原料の石膏が採れたとの記述であるがカオリンはどうなったんでしょうかねぇ。。それ程貴重でもないのか?





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参考文献
野岩鉄道会津鬼怒川線  出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
日中線 出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
『鉄道未成線を歩く 国鉄編』 森口誠之 JTB 2002年
会津乗合自動車 株式会社(会津バス)ウェブサイト
廃 道日記(Riding・Report)「大峠」