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2025.12.3独立
三遠南信道路青崩峠調査篇

草木トンネルという立派なトンネルを建設した後になってその先のルート選定に失敗してメインルートから抛棄するという前代未聞の事件を引き起こした三遠南信道青崩峠道路である。
今(25,12),青崩峠トンネルの開通を前にして,水窪川上流の電源開発(最近は道路趣味は休眠状態で水発趣味に没頭しているのである。)の序でにこちらに足を伸ばしたということである。
久々にリセットして見直してみると色々当時は見えなかった事が見えてきた感じがして纏め直してみた。

出典:
[1][山行が]隧道レポート 国道474号 草木トンネル (補筆)
https://yamaiga.com/tunnel/kusagi/main8.html

[2][山行が]隧道レポート 国道474号 草木トンネル  最終回&考察編
https://yamaiga.com/tunnel/kusagi/main7.html

[3]青 崩峠道路懇談会への報告(国交省中部地方整備局・2005(平成17)年)
http://www.cbr.mlit.go.jp/iikoku/torikumi/gaiyou/03/pdf/005.pdf

引用に際して和暦を西暦に直して和暦を併記する形に改めた。また筆者(よっき)が引いた下線や太字の他にとはが下線を引き太字にしたところもある。一部の案や出来事に丸数字を付けた。

<当初改築計画>

[1]
1983(昭和58)年策定の「水窪町基本計画」
より、道路交通についての「現状分析」を転載しよう。(傍線や太字は著者注)

住民の悲願であった国道152号の全線開通に向け基本ルートが決定され、本町と外部経済圏との結びつきの強化向上が期待される見通しとなった。
ルートとしては、池島地内から長大トンネル(1.2km)で草木地内に抜け(とは註:草木トンネル(実現))、そこから草木川に沿って北進し、ヒョウ越峠附近でふたたび長大トンネル(1.8km)で抜き、林道ヒョウ越線を北進し、長野県に至る(①)というものである。

昭和58年といえば、ちょうど国道152号の青崩峠道路が国の権限代行事業となった年である。
冒頭に基本ルートが決定されとあるから、それまでの県レベルでのルート調査の結果を受けて、その事業の大規模さから県単独の整備は難しいという判断がなされて、国の事業に採択されたものだろう。
当然これを町の「基本計画」は大いに歓迎し、住民の悲願が果されそうだという希望的観測も述べている。

そしてこの基本ルート(以後これを【昭和58年計画】と呼ぶ)の内容を模写して地図中にプロットしたのが右の図(=省略)である。

長大トンネルは2本整備される計画であり(これは後の全ての計画で共通する部分)、第一トンネルの延長は1.2kmと、実際に建設され た草木トンネルよりも100m短く計算されていた。そして、兵越峠附近に建設される予定だった第二トンネルは、全長1.8kmと見込まれていた。

この2本のトンネル(合計トンネル長3km)からなる県境越えルートは露骨に青崩峠を避けてはいるものの、この時期に実際に建設された各地の長大トンネルと較べても不自然(過大)なものではなく、国道の峠越えのバイパスとしては、一般的な規模であるように見える。


[2]元建設省浜松建設事務所長佐藤清著「道との出会い(山海堂刊・1991(平成3)年)」
> 国道152号線のルートは、中央構造線に沿って南北に走っている。そのため地質的にも問題が多く、前述の不通区間の道路計画のための詳細な調査が 実施され た(②)。その結果、青崩峠の直下を通過するルートではなく、その東側に迂回する、兵越峠沿いのルートが、最終路線として決定した。

1983年には青崩峠の分断区間の着工が草木・兵越ルートで建設される見通しとなっていた(①)ので②の調査はそれ以前ということになる。1970年代後半から80年代初頭に掛けて調査(②)の後に建設省による国道改築工事の決定(①)となったと思われる。

ヨッキはこの時の計画を昭和58(1983)年計画として,Aルートに近いとしつつ長野県側をほぼ現在の現道ルートとする2003年に[3]青崩峠道路懇談会の叩き台のDルートの様なものと推定している。

但し,一次改築で現在の兵越林道の様な狭隘区間を残す計画なのは非現実的である。恐らく長野県側は大きなヘアピンカーブなど現代的な造りで坂を下る計画だったと思われる。

国 道152号の一次改築が現道改築D案に近いものだったとして(割りと)長大なトンネルと九十九折りの取り合わせはしっくり来ず, 昭和50年代に計画決定された改築計画でこの様な2キロ弱級のトンネルとヘアピンの取り合わせは有るのか?俺が思いつく範囲ではR309の 水越峠(1998開通,L=2370m)なんかがあるが旧道の存在が地図上からも見て取れるから大カーブがある区間も全面的に作り替えられている様だ。水 窪町の兵越林道を北進はこんなイメージか。

似たような区間にR166の伊勢街道・高見トンネルがある。wikiに寄ると「1984年(昭和59年)には高見トンネル(総延長2,470 m)が開通した」とのことである。R155の一次改築が計画されていた1983(S58)年にはこちらの方が近い。


ということで,兵越峠の1.8kmのトンネル計画はこんな感じだったのではないか?
静岡側はEL.954mで長野方がEL.953m。1.8kmでこんな感じ。

実際には長野側の勾配キツいのでトンネル内にも片勾配付けて落差稼ぎたいところ。
80km2の速度制限で最大7%の勾配が許容されるみたい[ https://www.yokokan-minami.com/site/topics/1/pdf/siryou006.pdf)]なので1000mで70m,1.8kmなら120m程下げられる。

細かい条件は無視して全体としてはこんなイメージか?

ヘアピン部分拡大。飽く迄イメージで,勾配とか全く無視している。距離はもう一寸長く取った方が良さそう。


<1983~87年頃・長大トンネル案>

[1]
6年後の平成2年版「水窪町後期基本計画」では、また新たな基本ルートが構想されているのが興味深い。赤字は前計画から変更されている箇所)

住民の悲願であった国道152号の全線開通に向け基本ルートが決定され、四全総、三遠南信自動車道構想とともに、本町と外部経済圏との結びつきが実現される見通しとなってきた。
ルートとしては、池島地内から草木トンネル(1.3km)で草木地内に抜け、ふたたび長大トンネル(3.0km)で抜き、長野県に至るというものである。

【平成2年計画】ルートには、残念ながら原典となる地図が附属していないので、右の地図は概ね想像による)

この計画の最大の特徴は、既にあった国道152号の改良である青崩峠道路とは別に、それと並行する「三遠南信自動車道」(の構想)が現れていることである。

この2つの事業が当初は別個のものであった事は、同計画中で水窪町が国や県に要望していく項目として、国道152号の改良については国・県に強く要望するとしている他に、三遠南信自動車道については、町発展の起爆剤として積極的に受け入れると、敢えて別の記述を行っている事からも明らかだ。…

まだ“下道”である国道さえも開通していない場所に、まず国道を建設し、さらに間を置かず、そのバイパスとなる高速道路も整備すると言うのは、さすがに二重投資が過ぎる贅沢だ。…

短期間にこの2本並列の計画は、国道152号青崩峠道路(一般道)の計画を少し手直して、三遠南信自動車道(自専道)へ一本化されたらしい。
そういう柔軟な対応を可能とする制度も、全国に6000kmを越える新たな高規格幹線道路(いわゆる高速道路)を建設しようとする四全総は用意していた。それが、「国土交通大臣指定に基づく高規格道路」で、これにより一般国道を大規模に自動車専用道路として指定出来る。

ともかく、三遠南信道計画が四全総で決定されたことと、草木トンネルを含む青崩峠道路がそれに組み込まれたこととの間に、いくらかの時間差があったらしい事は、新たな発見だった。


1990年の水窪町の基本計画に出てきてるのであるが,後述の1987年に出てくる三遠南信道の自専道化で3.0kmの長大トンネルが5.0km(危険物の通行禁止の制約逃れで5.0km未満の4.9km台で設計されるw)級に拡大された筈で実際には83~87年の間にこの変更がなされている筈である。

2本も要求しているとは図々しいの極みであるが,国道が欲しい,出来れば高速道路が欲しいという要求の陳情の修辞としての両方ほしいだったのではないかと推察はする。
三遠南信に関しても「受け容れる」という表現に一般国道に関しては町が要求するもの,高速道路に関しては国が国全体を見通して建設するものという扱いの違いがあるようにも思える。
今は阪和道に組み込まれた御坊南海道路の様に,高速道路に並行して整備される一般国道みたいな変なお呪いを唱えて建設される区間もあるのである。

もしくは80年代後半の話だけに,水窪町の陳情がバブルに踊り狂う日本の公共事業拡大の狂奔に追いついて無くて3.0kmのトンネルと云ってる内に,国の 方が5.0kmのトンネルを用意してしまったのかもしれない。地元負担もあるし本当は3.0kmの一般国道バイパスが良いけど,国が5.0kmと云ってるなら頑張って協力しますという感じ?

いずれにせよここで峠付近の1.8kmのトンネルが3.0kmに延伸された訳である♪
静岡側約EL.900m,長野出口付近約EL.880mで約3.0kmである。こんな感じ。あんま形は変わらない印象だが,さっきより60m低い場所からトンネルに入っているので600m手前からトンネルに入る。詰まりサミットも下げる事が出来ていて,通行にかかるコストを削減可能である。

八重河内の聚落入り口が概ねEL.440m位なので,上の案だと高低差400mを3.3kmで下るので平均勾配12%はちとキツいな,,1.5倍ほど実際はヘアピンで勾配緩和をする必要があろう。

許容範囲を探してみると3kmで4%(設計速度80km2/h https://www.yokokan-minami.com/site/topics/1/pdf/siryou006.pdf)とすると120m高度を下げられてEL900mでトンネルに入って片勾配で小嵐のEL.780m付近に出てこれる。
ここから440m迄4%(特例で最大7%)で340m降りると8.5km(特例で4.8km)の道路を敷けば良い。最高速度を60km/hと道路の規格を抑えれば8%迄行けるから設計はもう一寸楽になる。

<1987年>
それが三遠南信道に組み込まれることが決定した段階で、“より高速道路らしい”(具体的には一般道の第3種3級から自専道の第1種3級への規格変更)県境トンネルの長さが4990mにも及ぶ【A案】に差し替えられた(③)。

[2]草木トンネル年表(1)
1987(昭和62)年度四全総で高規格幹線道路「三遠南信自動車道」の整備が決定され、着手済みの草木トンネルを同路線に組んで整備することが決まる。(一般道から自専道に規格が変更される)
1989(平成元)年4月国道152号青崩峠道路として、草木トンネルの掘削が開始される。
1993(平成5)年度三遠南信自動車道が独立した国道474号(飯田市~浜松市)に指定される。(青崩峠道路は国道152→474号となる)
1994(平成6)年7月草木トンネルが供用開始。(三遠南信道として最初の開通区間。但し暫定無料開放とされた)

ここで出てくる自専道(自動車専用道路)用の5.0km弱の長大トンネルこそ国交省の検討委員会[3]で出てきたA案であろう。


出入り口を静岡側長野側それぞれEL.770m程度に取って兵越峠の真下をかすめて延長5.0kmのトンネルを掘ることが出来そう。長野側の勾配が急なので迂回が必要になるのも上の計画と同じである。


と,ここで大きな転機が。。②の「詳細な調査」にも関わらず兵越峠付近の地質が予想以上に悪いことが判明

<2005>

草木トンネル年表(2)
1997(平成9)~2001(13)年兵越峠附近の地質を再調査した結果、予想以上に悪いことが判明(④)する。
2001年(平成13)年4月国土交通省は「三遠南信自動車道の整備方針の見直し」を発表。青崩峠道路はPI(パブリックインボルブメント)方式により、ルートを再検討することになる。
2002(平成14)年PIのため青崩峠道路懇談会が地元関係者や有識者により組織され、省案4ルートについて検討を開始(⑤)。
2002(平成14)年12月青崩峠道路懇談会はBルート(青崩峠の西側を通る草木トンネルを利用しない新ルートで全長13.1km)を妥当とする最終提言を発表する。
2005(平成17)年12月国土交通省が上の提言を受けて「青崩峠道路懇談会への報告」を発表する。Bルートで最終決定される。
同時に、青崩峠道路(13.1km)のうち、水窪北IC~小嵐(こあらし)IC(6.0km)の早期供用を目指すことを発表。


この省案4ルートが以下である。

まずは議論の前提 となり何回か引用される平成17年(2005年)発表の報告書の路線候補図[3]から

出典:青 崩峠道路懇談会への報告(国交省中部地方整備局・平成17年)



出典:青 崩峠道路懇談会への報告(国交省中部地方整備局・平成17年)

【暫定的な結論めいたもの】   

この時(青崩峠道路懇談会での方針決定(⑤)時)に,国交省の連中が露骨な出来レースを演出した感じはある。

先ずS58年の計画ではトンネル延長はD案に近く長野県側は峠 北側の兵越林道の九十九折りが解消された形で結ばれるA案とD案の折衷案的なもの(仮にDA案とする)であったと想像される。(推定1)
トンネル長がS58年(1983年)の青崩道路案ルートでは 1.8kmだったのがD案では更に短い1.4kmとなっているからD案はS58年計画より更に簡略化されたものであると想像される。

そして下線③の部分の様に水窪町資料のH2年(1990年)案ではトンネル延長が約3kmに伸びている。そして下線③から④へと国道の改築から自動車専用 道路の一部へ計画が格上げされた段階で行われた再調査で地質が悪いことが判明したとなっ ている。
この下線部④の計画がAルートそのものであった可能性は高いように思われる。そもそも全くトンネル長が同じであるし。Aルートが駄目なのが判明して懇談会開いているのにAルートを比較に入れると云うのが良く判ら ない(疑問2)。
またトンネル長3kmの水窪町の平成2年構想ルートは一般国道であるがD案よりは規格が上昇し,A案とD案の折衷案に近いもののA案よりになったものと想 像される(推定2)。これを此処では仮にAD案と呼ぶ。

草木・兵越ルートの規格としては高い順にA案(5.0km)>AD案(3.0km)>DA案(1.8km)>D案(1.4km)となる。括弧内は兵越トンネルの延長。

検討のきっかけとなったA案と,しょぼすぎるD案を容れずにAD案とDA案で検討したら草木トンネルの活用に繋がった可能性もあると思って居る。

B案で行けるなら最初からB案で作って行けよなぁ。。ただ,うっかりか意図的か,いずれにせよ草木トンネルを建設してしまった事でとんでもなく不便だった草木※が劇的に便利にはなったんだけれども。

※:道路趣味をお休みして水発趣味を こじらせてる最近(25.12)の私は,今迄はピンときてなかったが,R152が遡上する翁川と水窪川上流の白倉川支流の草木川間に草木トンネルが出来る 迄は道がなく,草木へ至るには水窪川の翁川合流部付近で国道と岐れ,細道を延々と遡る必要があったのだ。廃村にならずに存続している聚落として門桁と 並ぶ不便さである。まあ限界聚落を無理矢理延命するのには批判的な私であるけれども水発の開発にも道は不可欠である。自動車道も無い様な山奥に堰堤がある のを見かける(そういう堰堤にはなかなか辿りつけない。たまに入り口(の想定地)を見かけて驚嘆するのみ[例えば四国の切越発電所内山堰堤(の入り口?)である)けど,アクセス道路は重要である。

翁川源流部は現状のR155で辿り着け,草木聚落を幹線道路罔に位置づける形でなんとか兵越の地質の悪さ(ここまで[山行にルート検討懇談会の資料の転載がある[→こちら] が構造線の東側は外帯となって「脆く柔らかい岩帯」と書かれている]大雑把にも東側の地質は悪いと解ってた様である)を(ちょ無理して)乗り越えようとし たけど,草木を連結した以上,草木トンネルはサンクコストになって,あとは草木トンネル建設に掛かった費用は無視して兵越峠にトンネルを穿つか,青崩峠の 西側にトンエルを穿つかの二択となり順当に後者が選ばれたというシナリオの様である。(暫定的結論)

それでもAD案とDA案とB案とC案で検討してみてほしかった感はある。
DA案の方が安上がりだけど,到達時間等で劣るという微妙な状況で結論に誘導したい官僚としてはそれを嫌ったのだろうとは容易に想像は付く。御用学者じゃ ないと呼ばれないみたいだしな~。まあ検討資料が公開されてて我々が自由に論じれるようになっている点は高く評価したい。直ぐにサイトをいじってurlを 辿りにくくする悪癖は何とかして欲しいけど。