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とはずがたりな掲示板 同 高速道路スレ

妄想!新中央道!!
 0.概要   1.歴史   2.東京─精進湖   3.南アルプス越え   4.程野IC─飯田山本IC 



0.概要

嘗て中央高速と東名高速のどちらを建設するか争ったという。
昭和22年【国土開発中央自動車道】(東京~神戸間計画)がぶち上げられて以来,距離や国土開発に有利な東京─南アルプス─名古屋の中央高速と需要の見込める東京─静岡─名古屋の東名高速の間で綱引きがあったが,結局東名に。
更に中央高速の建設に際して,当初の中部山岳を貫くルートは技術的な困難性やルートの低規格によって,現在の北回りルート(諏訪湖方面へ大きく迂回するルート)にも負けて結局,南アルプスの豊かな自然が護られたと云 う訳である。自然保護と国土開発のアンビバレンシィに常に揺れている俺としては南アルプス貫通ルートが実現しなかった事がちょっと惜しいなと云う気持ちも 無い訳ではない。こ の辺参 考。更に東名と名神が現代に至る迄"高速"を名前に含んでいるのに対して,2車線対面通行で開通した中央高速は事故多発で中央道と名称から高速が除かれて しまった。。しかし現在に至る迄,国土開発中央自動車道の名残で法定の路線名は中央自動車道が東京から中央道経由の西宮であり新参の東名に対して一矢報い てはいるのである。

今,現代風に中部山岳ルートを現代のインフラ(三遠南信道路や中部横断道,まだ構想段階だけど新宿多摩線or多摩尾根幹線or八王子南BP,現実的には中央道の現道改築)を前提に建設するとどうなるかを妄想してみる。

詰まり 某Jct[都心環状線C1]─<都心新宿線構想>─新宿─<新宿多 摩線構想・ 新五日市街道下>─あきる野IC[圏 央道]─武蔵五日市IC─桧原IC─談 合坂Jct━[中央道共用]━東大月Jct─南大月Jct━<中央道富士吉田線>━富 士吉田IC─<嘗ての中央高速構想>─矢筈IC━<三遠南信道>─飯田山本IC━<中央道>━小牧 Jct━<名神>━西宮IC─湾岸西宮Jct[阪神高速湾岸線]みたいな感じになるのであるw

既 存道路区間はそれなりの規格で出来てしまっているので新東名・新名神程の規格では開通させられないであろうけど名前もまずはいけいけに新中央としてみた♪実際の中央高速の 計画段階でも富士吉田~中津川の山岳区間はほぼ80kw/hでの設計速度であった様だ。今から半世紀も前の調査がどれだけ現代で使えるのか専門家では無い 俺としてはなんとも言い難いけどその調査が役立てると調査費用節約できたりしないかなと思わなくも無いのであるw


1.歴史
国立国会図書館で中央自動車道のキー ワードで検索を掛けると様々な資料が引っ掛かり,その幾つかを閲覧してきた。
中 央高速道路工事誌』(日本道路公団・S45・以下工事誌)や「中 央自動車道の調査結果について」(『建設の機械化』122号)等に中央高速(南アルプス経由のこの道路を実現した現在の中央自動車道 に対して元々の通称である中央高速と呼びたいと思う)の経路図が載っているが,出典はどうやら「国 土開発縦貫自動車道中央自動車道(東京都・小牧市間)調査報告書」(昭和34年12月・建設省・以下報告書)の様である。
この報告書は総論と各論(2分冊)からなり総論に1:500,000の平面図と縦1/15,000,横1/500,000の縦断図が,分冊には1: 200,000の巨大な平面図と縦1/6,000,横1/200,000の巨大な縦断図が載っている。

ま た知らなかった情報として,現在の道路は【大月線】と呼ばれていて,比較検討された27路線の中の最有力対抗馬ルートに【道志線】があり,更にその折衷案 として【秋山線】というのがあったそうな。大月線と道志線の位置図は以下の如し(報告書添付の地図には秋山線ルートは載っていない。)
また府中から渋谷方面へ抜ける計画線も あって,東名の建設が行われない場合を念頭に置いたのか渋谷への接続も検討された様だ。府中から多摩川沿いに二子多摩川まで高速道路が走っていたかも知れ ない。稲城IC+稲城大橋は核幹道として横浜青葉ICに伸ばせ,川崎縦貫道は外環と繋げろが持論の俺だけど,この図見てたらやっぱ川崎縦貫道の構想通りに稲城大橋から川崎縦貫 として伸ばしても良いかも知れない♪と思えても来る。節操ないな,俺w
また府中ICの位置であるが 多摩川の南側,南武線の西側付近に設置されている(稲城と多摩市との境のこ の辺であろうか?)。
八王子ICも二級国道東京環 状線(現在のR16)と国鉄横浜線の交点付近(今はJR横浜線の片倉駅のある辺り)に置かれている。
出典:「報告書」
現在の諏訪周り(【北回りルート】と云う様だ)の接続に関して,秋山線や道志線は不利になるが,この段階で大月線が選択された事にその伏線が敷かれていた のかどうかが大いに気になるところである。

日本に於ける高速道路導入のはしりは戦前の独逸のアウトバーンや合衆国のターンパイクに刺戟された内務省土木局で検討が始まり,昭和15年(1940年) に始めて予算的に「    」として採り上げられる事になった(戦前の道路行政に関しては例えば「戦 前の道路事業─その政策面を中心に─」 松浦茂樹 土木史研究第18号 1998年)。この時も先ず東京~神戸が優先され,昭和18年に名古屋~神戸間の調査が行われた。当時のルートは【木津川ルート】と謂われて今の名阪国道 に近いルートだったそうな(そのうちに調べねばならぬと感じてはいる)。予算要求に迄漕ぎ着けられたものの戦局の悪化で雲散霧消することになったとしてい る(『工事誌』)。この木津川ルートであるけど,●木津川と謂うからには伊賀上野以西は今の名阪国道から離れて165に近いルートではなかったと想像され るが,未調査である。『工事誌』の記述に拠れば,産業基盤が育成され自動車交通の需要の多く,将来の裏日本筋との連携を考えて米原経由の関ヶ原ルートとさ れた,とある。木津川ルートは結局別に名阪国道が建設されているがこの段階では特段,論争にはならなかった様である。

さて,最大の論点であった中央山岳経由か東海道経由かの論争であるけど,よっきは距離が短くて所要時間が概ね短い事をアピールしてた(「夢幻の道を追う 第一回中央自動車道(序)」) けど,『工事誌』に拠ると最高速度も抑制されるし霧も発生するし(下の表参照),近辺に代替ルートもないから事故時の迂回も不可能でと色々後ろ向きな事が 書かれている。自由度が効くマイカー旅行とかには適しているけど定時定型を旨とする東京・大阪を結ぶ産業輸送には余り向かない道路ではあるのかもしれな い。現代の技術で建設したとして,どの程度勾配や霧などの影響を低減させうるルート取りが可能になるのであろうか?沿道開発についても,現代日本の林業は 既に花粉症公害業者に堕しているし,よしんば沿道に有望なる鉱山資源が見付かったとしても現代日本のコスト構造では採算ベースに載せるには可成り困難であ ろう。

延長および区間別設計速度
区間 東京 八王子 富 士吉田 精 進湖 中 津川 小牧
延長(m) 34,110 61,190 15,440 124,722 59,675 295,137
設計速度(km/h) 120 80 100 80 100
出典:調査報告書(p49.表-3・12)より

建設省設置気象観測所における視程100m以下の年間日数
観測所名 小仏 吉野 大月 富士吉田 精進 御弟子 下山 雨畑 木沢 法全寺 伊豆木 園原 霧ガ原 坂本 釜戸
日数 5 17 2 33 30 25 0 1 0 8 1 0 5 4 4
(注)ここで視程100m以下とは,標識板(45cm×45cm)の数字が100m前方より約3分間の間完全に読めない状態をいう。
出典:調査報告書(p44.表-3・6)より

1958年6月~1959年5月迄の一年間に於ける1日4回(午後6時及び10時,午後2時及び5時)の観測結果だそうな。富士北麓の富士吉田・精進付近 で年間30日程視程100m以下となるようである。

さて,戦後10余年の当時にあっては中央山岳ルートは国造りルートとして一部の政界・財界から強力な支持を得ている一方で,東海道ルートは激増する自動車 交通の処理の為に絶対に必要だという道路行政担当者をはじめとする専門家の間で支持を得ていたそうな。詰まり夢追い道路建設の国土開発マニアvsリアリストの道路官僚の構図であり,その様な 中,昭和31(1956)年には「道路整備特別措置法」が成立して所謂有料路制度が確立し道路公団が設立され,その前年昭和30年に超党派の議員に拠る 「国土開発縦貫幹線自動車道(現在の「国土開発 幹線自動車道建設法」)」が共同提案され,立法過程で経由地は別法律とされて昭和32年春にその経由地に関する「高速自動 車国道法」とともに可決成立の運びとなる。
政友会以来の地方ばらまき路線と合致して議員立法主体,从(したが)って夢追い派主導で法整備が進む事になった。

高 速自動車国道法に基づき制定された高速自動車国道の路線を指定する政令によって中央自動車道の法的基盤が確立し,その起終点と主な経由地を東京~吹田及び 相模湖町・富士吉田市・井川村・飯田市・中津川市・小牧市・大津市・京都市とされた。小牧以東は調査が進んでいたので昭和32年10月に施行命令が発せら れ,次は懸案の小牧以東となる。(『工事誌』)

調査は昭和32年度から本格的に始まり昭和34年度迄続き,その間約1億6千万円の調査費 が費やされ調査結果は昭和34年暮れに公表された。その中身は路線が急峻な中部山岳地帯を経過する為工事には相当な困難が予測されるが,土木技術上必ずし も至難な工事では無いこと,但し高速道路としての機能性や有料道路としての採算性には問題があると報告された。(『工事誌』)

より具体的には「報告書」にある。
ま ずはルート図から。未完成なのは河口湖ICから(三遠南信道として開通した)天竜峡ICの約105kmである。地図で見ると直ぐ近くなんやし造ろうやと思 わなくも無いけど100キロ超と云われると,そこそこあるなと云う気がしてくる。尤も三遠南信道(小川路峠道路)が千代T.(L=3,110m)と鍵懸 T.(L=4,690m)の代わりに北の小川路峠を矢筈T.(L=4,176m)で越えているので(万が一)中部山岳ルートを建設するとすればその距離は 90km程であろう。木沢から遠山川を勾配と短いトンネルを連ねて赤石トンネルに至っている。
出典:「報告書」
縦断図


全 延長のうち,昇り3.1%以上の勾配,及び降り3.1%以上の勾配の坂路の占める割合は,東京・小牧間で19.2%,精進湖・中津川間で35.7%となっ ている(但し下り線・上り線は異なる)。最急勾配5%またはこれに近い急勾配の坂路については,その長さに制限をつけるのが普通であるが,本計画では地形 の関係上制限を設けなかった。昇り5%の最長坂路は長さ6.8kmであり降り5%の最長坂路は長さ7kmでいずれも富士川・大井川間にある。これらは好ま しいものではなかったがやむを得なかった。(報告書p.52)

また赤石山脈を越える際には
「硯島トンネル西口から大井川を渡り川 に沿って,約4km南下してから,赤石山脈を延長約8.1kmのトンネルで横断する案と,硯島トンネルの西口から直ちに大井川を横断して赤石山脈を延長約 10.1kmのトンネルで抜ける案を比較した。前者は,後者よりも延長において約1.6km長くなるが,長大トンネルの延長は,約2km短くなる。した がって前者の建設費は約73億円安くなり,維持費も安くなるので,これを計画線と決定した。」(調査報告書)
とある。

●トンネル 部の建設費・維持費はその後の技術革新でどう変化したんかね?近年のマニアックに若しくはストイックに或いはサディスティックにはたまた若しくはフェ ティッシュに長大トンネルを好んで穿つ国家建設当局であると思われるが隧道部の非隧道部に対する相対的な有利度に変化があったのでは無いかと思われる。 (現在最長の道路トンネルは関越トンネルの11km超。)

また採算性であるが,建設資金の利子率であるが年平均利子率を6%とすると償還不能,3%の場合でも47年も掛かるとされた。(調査報告書)昨今は0金利ではあるけど。。

夢をぶち上げる政財界のマニア達に対して実際に調査・立案したリアリストの専門家達の現実直視せよと云う報告書となったようであり,『工事誌』には「推進 している方々から大反撃を喰った」とあるw
両 資料には勿論その様な事は書かれていないが,●大月線ルート推しがあった時点で背景に北廻り経路が暗黙の前提というか(リアリスト側が埋め込んだ中央道建 設の)落とし所としてあったような印象を受けるのはこの為である(縦貫道法別表に相模湖町付近とあるので道志線がそもそも規定外に見えるが,道志線でも" 相模湖町「付近」"を津久井町内で通るので法令違反とはならないようである。)。
また大月経由は随分と道志線経由に比べて大回りに見えるが,道志 線の方が約3km長くなるのだそうな。道志線の利点は建設費が安いということ。但し経済圏から遠く採算性は悪いと云うことのようである。

南アルプス越えを前提と してた時点での大月ルートの決定は国道20号との接続を考えたのであろうと『工事誌』も述べているので結果論として実現しただけという可能性も棄てきれな いが,この春開業の東北縦貫線が比較的安価で出来たのは東北新幹線を建設した際に,これ以上線路は増やさないと云う地元との諒解の元で建設されたにも拘わ らず東北新幹線の橋脚をもう一段線路を上に乗せられるように頑強に造ってあったと云う準備がなされていたのであり,今の大月Jctの形状を見ても甲府・諏 訪方面があとから分岐したようにはとても見えないので,暗黙の計画がちゃんと埋め込まれていた可能性は少なくない様に思われるのである。(よっきの発掘 した●『月刊土木技術』昭和41年7月号に拠ると富士吉田ICから御坂峠を越えて甲府方向へ抜ける計画図が載っているそうである。更なる調査の必要性を感じて いる。)

日本土木学会のサイト(ブログ)に載っている元本四連絡橋公団総裁山根孟氏のインタビュー(とは抄出はこちら)に拠ると

山根 中央道の大の推進者は、青木一男先生です。発端は1955年に議員立法として国会に提出された「国土開発縦貫自動車道建設法」でした。海岸線を走る 道路ではなく、日本の内陸部を縦に背骨のように貫く高速道路を建設するための法律です。青木先生は、この立法に財政の専門家として関わられました。

山岡 青木さんは、大蔵官僚出身で、戦前から戦中にかけて大蔵大臣、大東亜大臣を歴任し、戦後、A級戦犯容疑で収容、釈放されてからは、参議院議員として政界で活躍された人ですね。お孫さんが民主党の参議院議員だった小宮山洋子さん。

山 根 東海道を優先すべきだとの猛烈な運動に対し、青木先生は、東京・山梨・長野・岐阜の各知事、議長などの関係者を糾合して建設推進委員会の委員長に就任 し、政治の舵取りをします。自民党内でも東海道派と中央道派に分裂、深刻な事態になりました。たまりかねた村上勇建設大臣が、「どうか中央道側で譲歩して 東海道案も認めてもらいたい。中央道については、政府と自民党で建設促進の保証を与える」と青木先生に申し入れます。それで折れて、東海道案を認めること となりました。
 1960年7月、中央自動車道の路線を定める法律(東京~小牧間)と東海道幹線自動車国道建設法の両法の制定となり、62年5 月、中央自動車道の東京富士吉田間と東名高速道路の東京~静岡間の施行命令となります。63年10月には、東名高速道路の施行命令は全線にわたりました。

山岡 …当時のマスコミの論調を見てみますと、中央道には批判的です。1959年12月29日付の読売新聞は「再考を要する中央高速道路」と題して、次のように論説しています。 
「(建 設省がまとめた中央道路線についての)報告書の結論としては、山岳道路につきものの豪雨、降雪、凍結、霧など気象的な悪条件の重なりと、勾配区間やトンネ ルが多いことから走行速度が制限されるため、高速道路としては不適である点をまず指摘している。さらに全長二九五キロのうち五割までがトンネル、橋梁など の構造物で占められているため、建設費は三二〇〇億円の巨額に達し、(中略)有料道路として非採算的であると結んでいる。この報告で明らかにされるまでも なく、中央道については、かなりの疑点がある」

などとある。
このように政治家のメンツを立てて,両路線の同時命令を出しながら輿論の見方もあって官僚側は東名への大幅な傾斜配分を目論んだようである。

山 根 中央道、東海道、両方の高速道路の同時着工が正式に認められ、いざ予算の配分。ここに至って、こんどは大蔵省と経済企画庁の事務当局が中央道着工反対 の方針に固執します。『道を拓く』という本に、青木先生がその顛末を寄稿しておられます。…青木「この期に及んでも東海道の建設費だけが先に決まって、中 央道はあと回しになるということになるならば、自分は何の面目があって各県の諸君にまみえるのか。自分は当然責任をとるつもりである。しかし、その前に自 民党と政府がいかに信用のおけないものであるかを天下に表明し、その上で自分の進退を決するが承知されたい」

山根 …政府、自民党とも中央道を放置するわけにはいかなくなり、建設予算がついたんです。 …  当初の中央道の計画は、富士吉田から身延町を経由して、飯田市に至ることになっていました。南アルプスを貫くわけです。この間に全長8,058mの赤石 トンネルはじめ大小多数のトンネルがありました。世界一金のかかる道路建設になりそうでした。青木先生も、そのことは承知のうえで東海道との同時着工にこ ぎ着けた。
 しかし、その後、ご自身が欧州へ視察に行き、フランスとイタリアを結ぶモンブラン・トンネル(全長12,000m)の建設現場に赴き、大規模で困難な工事を目の当たりにして、建設省や道路公団の反対論にも理由があることを痛感します。帰国すると、従来の赤石山脈をぶち抜く案を変更し、諏訪地方を経由するルートに改めると提案したのです。

山岡 ははぁ。それで諏訪経由に変わるわけですか。一説には、青木氏が長野出身なので“我田引道”とばかり、自分に都合のいいように変えたとも言われていましたが……。 

山根 いや、違いますね。赤石山脈を迂回するために諏訪経由にしたのです。

山岡 …急に予定していた高速道路が通らなくなった身延町とか下部町、長野県下伊那郡の町村などは、話が違う、と大反対したでしょう。

山根 そこから、また青木先生が、政治力を発揮して関係各団体を説得して回られました。ルートから外れた自治体には県が道路整備を重点的に行なうとか、手当ても用意されました。

中央アルプス貫通派の田中清一vs北回り派の青木一男とする構図もあるようであるが,山根氏はそのような立場を採らないようである。

2.東京~精進湖
<目次:改良案新設案

新東名がとりま横浜起点とされ,更に現着工区間が海老名以西であるように新中央も先ずは富士吉田以西を着工し,その後に都心方面への延伸を画策するのが順 当であるかも知れぬ。
しかし,なんとなく第三京浜や高速横浜環状線がその経路であると云う諒解があるように新中央の東京も暗黙のルートを示すのが良いだろう。

まずは中央道の改良を検討する必要があるであろう。三遠南信道の建設とかで如何にも却下な現道改築案を代替案に入れて現道改築あかんでしょ?というアリバイ造りがなされたりしているが,この場合は他に比べて有力な案になりうるかも知れない。
調 査時に道志線とされたものが大月線より3キロほど延長が長いものの経済圏から外れていて建設費が安いものの,経済圏から外れている上に,交通需要と北回り へのアクセスに劣り比較検討ルートに止まったのであるが,現代のトンネル有利の構造のもと,道志から富士吉田まで御正体山をぶちぬけば距離も短く,建設費 も安い形で実現できそうである。道志線は現府中IC辺りから分岐していたが,現在の都市計画を重ね合わすと,津久井広域道路と多摩尾根幹線を利用するか, 八王子南BPと東八道路の利用辺りが相当しそう。また現中央道以南にこだわらなければ,新宿多摩線を利用するのも一案である。

今,嘗ての大月線,道志線,秋山線の顰(ひそ)みに倣って現道改築桧原線(仮称)道志線(未完)秋山線(未完)を検討してみるw

2-1. 中央道改良
中央道は実際よく混んでいる印象がある。尤も土日の方が酷くて観光道路として混んでいるので,消費大国化を目指す日本としては勿論解消を目指すべきかも知れないけど,第二次大戦時下的な気分の抜けない日本国民としては不要不急の観光路線に対する評価が低いのが現実かもw
ともあれ首都から発する放射状高速道路の一員の癖に片側2車線メインの中央道のボトルネックに対しては行政としても重い腰をあげているのが現状の様である。(この辺とか・以下このWGの資料より画像転載。)

平面図と車線概要
南八王子バイパスルート(秋山線)15011602p01.jpg


中央自動車道 渋滞箇所及び渋滞発生要因
①上り(調布付近):調布ICの合流部、深大寺バス停(BS)付近におけるサグによる速度低下が要因となり、平日の朝を中心に深刻な渋滞が発生。
②上り(小仏トンネル付近):小仏トンネル付近のサグ(上り坂)、登坂車線減少、トンネルの心理的圧迫による速度の低下が要因となり、主に休日の夕方において深刻な渋滞が発生。
南八王子バイパスルート(秋山線)南八王子バイパスルート(秋山線)

●調布付近(上り線) 付加車線の設置
深大寺バス停(BS)付近におけるサグを解消する為にその前後を上りのみ3車線化するもののようだ。外環のジャンクション迄3車線化出来るといいんだけど。。


●小仏トンネル付近(上り線) 付加車線の設置

既存の登坂車線による3車線区間の終端から1車線トンネルを建設してトンネルを出た後は車線運用の見直しによる3車線化でそのまま八王子Jctの分岐迄連続3車線とする計画案の様である。
新中央が出来るならここは2車線トンネルを建設し八王子Jctのランプも2車線で圏央道外回り・内回り各1車線計2車線を確保する方が良さそうである。上の図だと2車線トンネルとほぼ同じ直径の(≒将来的な2車線運用も可能な?)トンネルが描かれていて心強いw

2-2.改良案
以上の対策で改善されるなら新たな建設は要らないかもしれない。。

が,中央道黎明期の設計時に様々なルートが比較検討された顰みに倣って今ルートを3箇所程検討してみる♪
1.五日市街道ルート(桧原線)
…下図中青線
2.多摩尾根幹線ルート(道志線)
…下図中黄線及び赤線
3.南八王子バイパスルート(秋山線)
…下図中緑線

で, 富士吉田線が出来ちゃってる現代に於いて,一番現実的なのは勿論何も造らない(´・ω・`)ことではあるが,それでは妄想が始まらないので造 る前提で考えると,秋山線は道志線より建設区間が短く地価も道志より旧秋山の方が安そうだし有利っぽい?新五日市街道は高そうだ。。

3.南アルプス越え=数年前の昔の俺の妄想ルートが残っちゃってるけど,予定地全図。。

南アルプス越えをする前に,先ず富士北麓高原を抜ける。この部分は平坦で「調査報告書」では設計速度も100km/hで計画出来たが,霧が年間30日程出て国土縦貫幹線としては不適切だとされた区間でもある。
下の図は上の巨大図でも既出の当該地区付近の「調査書」でのルートマップ。富士宮周辺が富士郡となっている。富士郡即ち町制時代の富士宮は大宮町だった気がしたけど調べたらこの時はまだ 1958年の北山村、上井出村、白糸村、上野村を編入前後であったようだ(wiki)。 富士宮の市制施行は断然古く,1942年であった。
で,肝腎のルートであるが本栖湖からちょっと北へ迂回して勾配を緩和しつつ古関経由で下部へ出てくる。現在のR300沿いである。
もし現代の枠組みで建設するとすると河口湖~本栖湖間はR139の本栖湖~身延はR300のバイパス扱いとなろう♪
15011602p01.jpg
特に本栖湖から古関へのR300の弯曲振りはそれなりに壮絶で改良の余地はあるのではないかと思われる。(古関~甲斐常葉と波高島付近ではバイパスが出来 ちゃってる様であるけど。。)
因みに「工事誌」では古閑となってゐるが古関の間違いであろう。

地方道路へのばらまきに批判的な俺でも新中央道構想(妄想)ぐらいの大きなスキームの中に組み込まれると大好物であるw

で,身延付近であるけど,R300・常葉川沿いに波高島へアプローチして中部横断道身延IC付近で交叉ジャンクションを設け,そのまま直進して粟倉山にぶ ち込む感じになろう♪


身延付近
中 央高速が東名高速で着工順位で負け,更に経路が所謂北回りに変更される中で,最期迄中部山岳ルートに固執し抵抗したのがこの身延町である。富士吉田から天 竜峡(飯田)迄の同ルートの中で唯一のまともな集落がこの身延であったから孤軍奮闘,四面楚歌,多勢に無勢であり,冷静に事業の受益者人口・経済効率を考 えると勝ち目は皆無であった(この辺は「日本の廃道」第45号所収のよっきの「夢幻の道を追う 第一回中央自動車道」の本篇に詳しい)が,方向は中央道の東西から本来の身延の交通体系に沿った南北に変わったが中部横断道の建設が進み近く(2017(H29)年 予定)高速道路体系に接続される予定である。

身延付近の中部横断道の様子は古 屋伸悟「中部横断自動車道身延ICにおける工事工程の短縮事例について」で大まかに判明する。

イメージ図

新五日市街道ルート上のあきる野ICをも髣髴とさせるなかなか大 胆な造りで,新中央道のジャンクションを併設する余地も十分あるではないかww

工事誌によると,計画の富士川渡河点は「早川の合流点のやや下流」とある。今,身延ICのランプ橋はその合流点のやや下流の常葉川の左岸(南岸)であるか らほぼ同じかちょっと南側である様に思われる。古屋論文から抜き出した 身延ICの平面図をgoo mapに重ねて,更にマウスオーバーで新中央道の計画線を妄想してみた♪


富 士川以西は早川町中心部まではr37南アルプス公園線,その先も雨畑まではr810雨畑大島線の改良名目で行けるだろうが(こうなってくると最早,新東名・新名神に比肩しうるハイグレード高速の新中央と云うよりも地域高規格道路程度の位置づけが妥当になりそうであるが。。)そこから矢筈トンネル東詰の程野IC 迄は純然たる新設道路だからなんかのスキームの新設が必要であろう。スーパー林道!?
静岡県のr60南アルプス公園線と併せて静岡県・山梨県道2号南アルプス公園線としてその未成区間という位置づけで どうであろうか!?笑。もちろん2号線ってのは電 源開発萌え♪てゆーか特定地域総合開発計画激萌え♪♪未 だ水力発電がピーク設備扱いとされて発電力量が高コスト化する前の,飽くまでベース電源供給を狙って高稼働率の前提で建設された頼もしい佐久間ダム関連の綜合開発を 支えた静岡・愛知・長野県道1号飯田富山佐久間線の次位に位置づけるのである♪
まあだとしても大井川~木沢をどうするのかって課題が残るから山梨・静岡・長野県共同で,主要地方道身延畑薙 木沢線でも指定するのだ妥当かなぁ。。
   
早川町のr810の終点(実際は起点)の雨畑から更に遡上した稲又から稲又谷を登り,青薙山の下を硯島トンネルで抜けて出てくる井川はこの辺,地名で云う と田 代付近と思われる。
粟倉山以西を地図に描くとこんな感じか♪当時は計画に無い早川ICだけど今建設するなら地域開発色が強くしないと無理であろうから設置は必須であろう。

因みにインターの接続道路は「調査報告書」に拠ると大井川ICに関しては県道井川静岡線となっているが,現在その様な名前の路線は無い様で,井川地区へのアクセ スする主要地方道はr60 南アルプス公園線(昼居渡[R362に接続]~小河内[東俣林道に接続]・1973年認定)r27 井川湖御幸線(大日峠北麓~御幸通・1960年認定)である。r60及びr27の両静岡県道を併せた様な静岡から井川を結んでいた県道が調査のあった昭和30年代前半(1960年前頃)にはあった様だが調べがついて居らず詳細は不明。

更に大井川IC付近はそのr80ですらなくその先の一般車通行止めの(法 面等が不安定なためゲート管理をし一般車両の通行を禁止している)東俣林道上である様だ。
我 流かもしれないMTB整備と林道ツーリングさんの林道東俣線(静岡県静岡市葵区)のレポの「6.49キロ 畑薙橋を渡る。」付近であ ろうかと思われる。凄い何も無さそうな所だ。

赤石越え
上 述の様に「調査報告書」に拠れば「硯島トンネル西口から大井川を渡り川に沿って,約4km南下してから,赤石山脈を延長約8.1kmのトンネルで横断する 案と,硯島トンネルの西口から直ちに大井川を横断して赤石山脈を延長約10.1kmのトンネルで抜ける案を比較した。前者は,後者よりも延長において約 1.6km長くなるが,長大トンネルの延長は,約2km短くなる。したがって前者の建設費は約73億円安くなり,維持費も安くなるので,これを計画線と決 定した。」とあるが現代に於いては関越トンネルが10km超であり,直進して約2km距離短縮を稼いだ方が良さそうである。

4.程野~飯田山本IC
程野からは三遠南信道へ接続。●矢筈越えのルート決定に際して千代・鍵懸経由の中央高速計画が何か関係したのかしなかったのか気になる所で有る。
三遠南信 道は世 紀の経路設定ミスである草木トンネルを含むのであるし。。『三遠南信自動車道矢筈トン ネル工事誌 : 小川路峠道路』を漁りに行かねばならないかも。

矢筈トンネルの西側口をトンネルでももう1本掘って真っ直ぐ延ばすとR256の車道区間付近に至りそうだがそういう計画では無いらしい。

R256のこの区間は×××で描かれている通り未通区間というか登山道区間であるようだ(この辺参照)。R152の青崩れといい地蔵峠といい不通国道のメッカだけのことはあるが,三遠南信道のこの区間が極端に早く整備された──矢筈トンネルが1994年に開通して以来,それ以上の延伸が行われず暫定開通の侭,なんと20年以上に亘って放置されている──のは矢筈TN開通前の上・南信濃⇔飯田の唯一の交通路であるr251上飯田線が特に現喬木IC付近から上村方面の赤石トンネルを含む峠越え区間が狭隘で急勾配急カーブで線型が酷くまた冬季通行止めになる解消が喫緊の課題である隘路なのに対して,三遠南信道全体構想はこんな辺境の地(←暴言,失敬m(_ _)m 私くしは遠州出身者としてこの地の発展にはひとかたならぬ期待を抱く者の一人でもあります。)には分不相応且つ時期尚早な社会インフラであり,早急且つ最安で整備するには中央高速の千代・鍵懸の2本の巨大トンネルを掘る計画より取り敢えずは矢筈TN一本で劇的な改善(wiki)が図られるという現実的な計算があったのだと思われる。

さ て,そんなこんなで時が流れて,この部分は完成しないというより建設が抛棄された侭時は流れて,現代に於いてリニアを通そうとするのが南アルプス経由で あった。嘗ての地元の有象無象が蠢いた反省からか,JR東海は国費の投入を謝絶し自己資金で最短ルートを目指す事にしたようである。確かに長野県を中心に 諏訪周りにせよという圧力が掛かったが,カネを出すJR東海は突っぱねて東京~大阪を最短時間で結ぶ南アルプスルートが採用された。良い傾向ではある。一 方の道路行政は地域高規格道路の真っ盛りである。本頁の新中央道妄想も,もしするなら地域高規格道路として整備するのが妥当かなというのが俺のささやかな 本考証の結論である。ただし国鉄赤字ローカル線を欲しがり,舗装された2車線県道を欲しがり,今度は立派な高速道路を欲しがり散々カネを吸い込んで行きな がらもどんどん衰退していく一方の強慾且つ無為無策の地方には怒りを感じざるを得ないが,中央がカネを引き換えに考えることを止めさせていると云う構造も 見逃せない。思い切ってお仕着せ政策を廃止してカネを注ぎ込むのを止めて地方からのアイディアが出てきた時点でそのプロジェクトにカネを出すという仕組み が必要だと思われる。成る可く規制はなく自由に使えた方が良いから審査は領収書類をネット公開して小保方騒動でその実力をみせたアノニマスなネット市民の 監視による規律に任せれば良い♪そんな中で新中央道建設が必要だと出てくれば良いんだけど,それこそ妄想なのかもしれない。。

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