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から丸写しの三遠南信自動車道の基本スペックは以下の通りである。 三遠南信自動車道は、長野県飯田市の中央自動車道・飯田山本IC から愛知県を経由して静岡県浜松市北区の新東名高速道路・浜松いなさJctに至る、総延長約100kmの高規格幹線道路である。 国道474号の自動車専用道路(国土交通大臣指定に基づく高規格幹線道路(一般国道の自動車専用道路))に指定されている。 一般国道の路線を指定する政令および一般国道の指定区間を指定する政令に基づく国道474号の概要は以下の通り。 起点 : 長野県飯田市山本3643番1号(飯田山本IC) 終点 : 静岡県浜松市北区引佐町東黒田字桑田263番3(浜松いなさJCT) 重要な経過地 : 長野県下伊那郡上村(現飯田市)、静岡県磐田郡水窪町佐久間町(現浜松市)、愛知県北設楽郡東栄町、同県南設楽郡鳳来町(現新城市) |
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左図はその三遠南信道の地図である。R152やR258に不通区間が目立つ陸の孤島であると言える。折角分断されていて 道路維持管理費を国民負担免れているR289の八十里越が建設されていることを徹底的に批判し続け,三江線や木次線の役割は終わった,もう木次~宍道以外 は廃止すべしと切って棄てる俺ではあるが,ここらの国道の不通区間を解消する為の三遠南信道に関しては,相良から掛川を通って遠く信州迄繋がる塩の道に幼 少の砌より慣れ親しんできた事もあり,佐久間線や中津川線,遠くは遠美線が結局建設されずに終わった事を可成り残念に思っているので,この三遠南信道の建 設に関しては憎からず思っている。また個人的には期待してたのに最後は悲惨な政治家生命の終わりを迎えた熊さんこと熊谷弘は水窪から飯田高校へ通ったなど 奥遠と伊那 の経済交流は昔から結構盛んなのである。 |
飯喬 道路 | 小川 路峠道路 | ||||||||
基本計画・整備計画 | 飯喬 道路 | 小川 路峠道路 | |||||||
IC名 | 飯田山本IC | 天竜峡IC | 飯田 東IC | 喬木 IC | (仮出入口) | 程野IC | |||
所在地 | 飯田市山本 | 飯田市上久堅 | 下伊那郡喬木村氏乗 | 飯田市上村程野 | |||||
距離(km) | 22.1 | 6.0 | |||||||
距離(km) | 14.6 | 13.5 | |||||||
標準幅員 | 20.5m(暫定10.5m) | 12.0m | 20.5m (暫定トンネル部 9.5m) | ||||||
車線幅員(m) | 3.5m | ||||||||
設計速度 | 80km/h | ||||||||
車線 | 4車線(暫定2車線) | 2車 線 | 4車 線(暫定2車線) | ||||||
構造規格 | 第1 種第3級 |
草木ト
ンネル (道路) http: //ja.wikipedia.org/wiki/草木トンネル(道路) 草木トンネル(くさぎトンネル)は静岡県浜松市天竜区水窪町にある延長1,311mのトンネル。1992年(平成4年)竣工、1994年開通。トンネルの 線形は逆S字の形をしている。 当 初は三遠南信自動車道(国道474号)の一部として供用された。しかし供用後の1997年に、草木トンネルから兵越峠の下を通るルートは地盤が脆弱なこと が判明した。そのため2008年までに同自動車道の計画が、水窪から地盤のやや硬い青崩峠西側を通るルートに変更されることになり、その結果草木トンネル は、同自動車道のルートから外されることとなった。そのため、2008年から2009年にかけて草木トンネルをそれまでの高規格構造(1種3級)から歩道 を付した一般道路(3種3級)に格下げする工事が行われ、制限速度が60km/hから50km/hに、案内標識も緑地のものから青地のものに付け替えられ た。 一般道路となった草木トンネルは、国道152号から不通区間(青崩峠)を迂回する兵越林道へのバイパス機能や、地域の生活道路として活用されることとな る。 |
13 名前:77 名無 -nanashi- 4km[] 投稿日:2008/09/12(金) 01:55:39 ID:AGDMOgi6 草木TNを3種3級にして、車道を削った分で歩道を新設するんだって。 とは言っても、あそこを徒歩または自転車で行き来するなんてのは無謀。 しかもかなりの勾配だから人馬では大変だよね。 これ(【三遠南信自動車道】スレの>>320から転載) http://www.cbr.mlit.go.jp/iikoku/torikumi/gaiyou/03/pdf/aokuzure05.pdf ついでにこっちも(【三遠南信自動車道】スレの>>324から転載) http://www.cbr.mlit.go.jp/iikoku/torikumi/gaiyou/03/pdf/aokuzure05.pdf 16 名前:77 名無 -nanashi- 4km[sage] 投稿日:2008/09/19(金) 01:13:33 ID:Q7JmZnWT 草木トンネルの動画見つけた。 http://jp.youtube.com/watch?v=BvrtSl5mh2Q 62 名前:R774[] 投稿日:2009/04/07(火) 17:18:49 ID:09XndxpW トンネル「格下げ」/浜松・長野県境 http://mytown.asahi.com/shizuoka/news.php?k_id=23000000904070004 浜松市天竜区水窪町に「三遠南信自動車道」の県内初区間として 94年開通した「草木トンネル」が、1月から歩行者も通れるようになった。 開通後の地盤調査などの結果、国土交通省が自動車道としては 同トンネルを活用しないことを決め、歩道を設けたからだ。しかし、元々は 自動車専用の高規格道路のため、事実上の「格下げ」。地元住民からは 「何のためにトンネルを通したのか」との批判もある。 99 名前:R774[sage] 投稿日:2009/12/31(木) 05:07:25 ID:D+AKz5iV 鳳来―引佐は11年度開通見通し 三遠南信道 http://www.chunichi.co.jp/article/national/news/CK2009123002000126.html |
しかしその前に,まずは議論の前提となり何回か引用される平成17年(2005年)発表の報告書の路線候補図から 出典:青崩峠道路懇談会への報告(国交省中部地方整備局・平成17年) 出典:青崩峠道路懇談会への報告(国交省中部地方整備局・平成17年) |
山さ行がねが 隧道レポート 草木トンネル (旧三遠南信自動車道) http://yamaiga.com/tunnel/kusagi/main.html 1.草木トンネルが「国道152号の一次改築事業」として着手される 現 在は国道474号に指定されている草木トンネルであるが、当初は国道152号の一次改築事業(道路構造令の規格を満たさない未改良区間を改良する事業)と して計画されたものであった。①つまり、最初から高速道路として計画されたものではなく1983年の事業着手後,1989年の草木トンネル掘削前の1987年に一般道から自専道への変更があったのである。 昭和58年の時点で既に「青崩峠道路」のルートは、青崩峠を東に迂回して、草木峠と兵越峠をトンネルで抜くという、後の「Dルート」に近いルートが想定されていた。 (とは註:ヨッキはこの部分ではAルートに近いと書いているが,ヨッキの水窪町基本計画の調査によると実際にはDルートである。一次改築であるからD案の様な九十九折りの箇所が残る①') 元建設省浜松建設事務所長佐藤清著「道との出会い(山海堂刊・平成3年)」 > 国道152号線のルートは、中央構造線に沿って南北に走っている。そのため地質的にも問題が多く、前述の不通区間の道路計画のための詳細な調査が 実施され た②。その結果、青崩峠の直下を通過するルートではなく、その東側に迂回する、兵越峠沿いのルートが、最終路線として決定した。 2. 「水窪町基本計画」に見る、草木および兵越トンネル計画の変遷 昭和58年策定の「水窪町基本計画」より、道路交通についての「現状分析」を転載 >住民の悲願であった国道152号の全線開通に向け基本ルートが決定され、本町と外部経済圏との結びつきの強化向上が期待される見通しとなった。 ルートとしては、池島地内から長大トンネル(1.2km)で草木地内に抜け、そこから草木川に沿って北進し、ヒョウ越峠附近でふたたび長大トンネル (1.8km)で抜き、林道ヒョウ越線を北進し、長野県に至るというものである。 長 大トンネルは2本整備される計画であり(これは後の全ての計画で共通する部分)、第一トンネルの延長は1.2kmと、実際に建設された草木トンネルよりも 100m短く計算されていた。そして、兵越峠附近に建設される予定だった第二トンネルは、全長1.8kmと見込まれていた。 この2本のトンネル(合計トンネル長3km)からなる県境越えルートは露骨に青崩峠を避けてはいるものの、この時期に実際に建設された各地の長大トンネル と較べても不自然(過大)なものではなく、国道の峠越えのバイパスとしては、一般的な規模であるように見える。 この【昭和58年計画】ルートは、平成14(2002)年に国交省が公表した4本の候補ルートのなかでは、「D案(現道活用案)」とほぼ一致することが分 かる。 一 見、常識的な内容と思われた【昭和58年計画】ルートであるが、兵越林道(現在は林道ではなく長野県道南信濃水窪線)の現道改良区間を大部分残すこの計画 では、ルートの性能が地域の要求するものに足りなかったのか、或いはそれ以上の需用を国も認めたということか、6年後の平成2年版「水窪町後期基本計画」 では、また新たな基本ルートが構想されている。 住民の悲願であった国道152号の全線開通に向け基本ルートが決定され、四全総、三遠南信自動車道構想とともに、本町と外部経 済圏との結びつきが実現される見通しとなってきた。ルートとしては、池島地内から草木トンネル(1.3km)で草木地内に抜け、ふたたび長大トンネル (3.0km)で抜き、長野県に至るというものである。③(こちらがAルートにより近いものと思われる。) この計画の最大の特徴は、既にあった国道152号の改良である青崩峠道路とは別に、それと並行する「三遠南信自動車道」(の構想)が現れていることであ る。(と は註:昭和62(1987)年6月30日 : 三遠南信自動車道閣議決定(第四次全国総合開発計画)であるからその直前のS58時点で既に構想はぶち上げられている筈である。) この【平成2年計画】ルートは極めて短命だったはずで、それが三遠南 信道に組み込まれることが決定した段階で、“より高 速道路らしい”(具体的には一般道の第3種3級から自専道の第1種3級への規格変更)県境トンネルの長 さが4990mにも及ぶ【A案】に差し替えられた。④(恐らく比較Aルートはまさにこの時の計画だったのではないか?) そしてさらにこの【A案】も( 平成9(1997)~13(2001)年の調査で地質の悪さが判明して棚上げにされたのち最終的に)平成17年には放棄され、既設の草木トンネルととも に、三遠南信道の計画ルートから除外されることになるのである。年表に纏めると以下の通りである。 1983(昭和52)年度 国道152号の青崩峠区間の調査が開始される。( 元建設省浜松建設事務所長佐藤清氏の云う所の詳細な調査はこの時か?) 1989(昭和58)年度 国の権限代行事業として、国道152号青崩峠区間の一次改築事業が着手される。 1987(昭和62)年度 四全総で高規格幹線道路「三遠南信自動車道」の整備が決定され、着手済みの草木トンネルを同路線に組んで整備することが決まる。(一般道から自専道に規格が変更される)。 1989(平成元)年4月 国道152号青崩峠道路として、草木トンネルの掘削が開始される。 1990(平成2)年 とはずがたり地元の静岡を出て遊学。(取り敢えず名古屋の河合塾へ♪)水窪町では 1993(平成5)年度 三遠南信自動車道が独立した国道474号(飯田市~浜松市)に指定される。(青崩峠道路は国道152→474号となる) 1994(平成6)年7月 草木トンネルが供用開始。(三遠南信道として最初の開通区間。但し暫定無料開放とされた) 1997(平成9)~2001(13)年 兵越峠附近の地質を再調査した結 果、予想以上に悪いことが判明②する。 2001(平成13)年4月 国土交通省は「三遠南信自動車道の整備方針の見直し」を発表。青崩峠道路はPI方式により、ルートを再検討するこ とになる。 2002(平成14)年 PIのため青崩峠道路懇談会が地元関係者や有識者により組織され、省案4ルートについて検討を開始,12月に同懇談会はBルートを妥当とする最終提言を発表する。 2005(平成17)年12月 国土交通省が上の提言を受けて「青崩峠道路懇談会への報告」を発表する。Bルートで最終決定される。同時に、青崩峠道路(13.1km)のうち、水窪北 IC~小嵐(こあらし)IC(6.0km)の早期供用を目指すことを発表。 2009(平成21)年1月 草木トンネルを自専道から一般道へ変更する工事(歩道の設置など)が完了し、一般道となる。 |
路線名 | 三遠道路 | 佐久間道路 | 水窪佐久間道路 | その他・備考 | |||||||
IC名 | 引佐Jct | 引佐北IC | 鳳来峡IC | 東栄IC | 佐久間IC | ||||||
IC所在地 | 浜松市北区 引佐町東黒田 | 浜松市北区 引佐町 | 北設楽郡 東栄町三輪 | 浜松市天竜区 佐久間町川合 | |||||||
開通 | 2012年4月14日 | 2012年 3月4日 | 建設中 | 建設中 | 調査中 | ||||||
距離(km) | 21km | 6.9km | |||||||||
標準幅員 |
土工部・橋梁部・高架部 : 10.5m トンネル部 : 12.0m | ||||||||||
車線幅員(m) | 3.5m | ||||||||||
設計速度(km/h) | 80km/h 規制速度 : 70km/h(明かり部)、60km/h(トンネル部) | ||||||||||
車線 | 2車線 | 2車線 | |||||||||
構造規格 | 第1種第3級 | ||||||||||
その他・備考 | 引佐Jctは勿論浜松いなさ,引佐北はいなさ北である。 旧郡名の引佐をもっと大事にしようヽ(`Д´)ノ 員弁なんかも同様である。匝瑳を見倣え。 |