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延長および区間別設計速度
建設省設置気象観測所における視程100m以下の年間日数
出典:調査報告書(p44.表-3・6)より 1958年6月~1959年5月迄の一年間に於ける1日4回(午後6時及び10時,午後2時及び5時)の観測結果だそうな。富士北麓の富士吉田・精進付近 で年間30日程視程100m以下となるようである。 |
日本土木学会のサイト(ブログ)に載っている元本四連絡橋公団総裁山根孟氏のインタビュー(とは抄出はこちら)に拠ると 山根 中央道の大の推進者は、青木一男先生です。発端は1955年に議員立法として国会に提出された「国土開発縦貫自動車道建設法」でした。海岸線を走る 道路ではなく、日本の内陸部を縦に背骨のように貫く高速道路を建設するための法律です。青木先生は、この立法に財政の専門家として関わられました。 山岡 青木さんは、大蔵官僚出身で、戦前から戦中にかけて大蔵大臣、大東亜大臣を歴任し、戦後、A級戦犯容疑で収容、釈放されてからは、参議院議員として政界で活躍された人ですね。お孫さんが民主党の参議院議員だった小宮山洋子さん。 山 根 東海道を優先すべきだとの猛烈な運動に対し、青木先生は、東京・山梨・長野・岐阜の各知事、議長などの関係者を糾合して建設推進委員会の委員長に就任 し、政治の舵取りをします。自民党内でも東海道派と中央道派に分裂、深刻な事態になりました。たまりかねた村上勇建設大臣が、「どうか中央道側で譲歩して 東海道案も認めてもらいたい。中央道については、政府と自民党で建設促進の保証を与える」と青木先生に申し入れます。それで折れて、東海道案を認めること となりました。 1960年7月、中央自動車道の路線を定める法律(東京~小牧間)と東海道幹線自動車国道建設法の両法の制定となり、62年5 月、中央自動車道の東京富士吉田間と東名高速道路の東京~静岡間の施行命令となります。63年10月には、東名高速道路の施行命令は全線にわたりました。 山岡 …当時のマスコミの論調を見てみますと、中央道には批判的です。1959年12月29日付の読売新聞は「再考を要する中央高速道路」と題して、次のように論説しています。 「(建 設省がまとめた中央道路線についての)報告書の結論としては、山岳道路につきものの豪雨、降雪、凍結、霧など気象的な悪条件の重なりと、勾配区間やトンネ ルが多いことから走行速度が制限されるため、高速道路としては不適である点をまず指摘している。さらに全長二九五キロのうち五割までがトンネル、橋梁など の構造物で占められているため、建設費は三二〇〇億円の巨額に達し、(中略)有料道路として非採算的であると結んでいる。この報告で明らかにされるまでも なく、中央道については、かなりの疑点がある」 などとある。 このように政治家のメンツを立てて,両路線の同時命令を出しながら輿論の見方もあって官僚側は東名への大幅な傾斜配分を目論んだようである。 山 根 中央道、東海道、両方の高速道路の同時着工が正式に認められ、いざ予算の配分。ここに至って、こんどは大蔵省と経済企画庁の事務当局が中央道着工反対 の方針に固執します。『道を拓く』という本に、青木先生がその顛末を寄稿しておられます。…青木「この期に及んでも東海道の建設費だけが先に決まって、中 央道はあと回しになるということになるならば、自分は何の面目があって各県の諸君にまみえるのか。自分は当然責任をとるつもりである。しかし、その前に自 民党と政府がいかに信用のおけないものであるかを天下に表明し、その上で自分の進退を決するが承知されたい」 … 山根 …政府、自民党とも中央道を放置するわけにはいかなくなり、建設予算がついたんです。 … 当初の中央道の計画は、富士吉田から身延町を経由して、飯田市に至ることになっていました。南アルプスを貫くわけです。この間に全長8,058mの赤石 トンネルはじめ大小多数のトンネルがありました。世界一金のかかる道路建設になりそうでした。青木先生も、そのことは承知のうえで東海道との同時着工にこ ぎ着けた。 しかし、その後、ご自身が欧州へ視察に行き、フランスとイタリアを結ぶモンブラン・トンネル(全長12,000m)の建設現場に赴き、大規模で困難な工事を目の当たりにして、建設省や道路公団の反対論にも理由があることを痛感します。帰国すると、従来の赤石山脈をぶち抜く案を変更し、諏訪地方を経由するルートに改めると提案したのです。 山岡 ははぁ。それで諏訪経由に変わるわけですか。一説には、青木氏が長野出身なので“我田引道”とばかり、自分に都合のいいように変えたとも言われていましたが……。 山根 いや、違いますね。赤石山脈を迂回するために諏訪経由にしたのです。 山岡 …急に予定していた高速道路が通らなくなった身延町とか下部町、長野県下伊那郡の町村などは、話が違う、と大反対したでしょう。 山根 そこから、また青木先生が、政治力を発揮して関係各団体を説得して回られました。ルートから外れた自治体には県が道路整備を重点的に行なうとか、手当ても用意されました。 |
1.五日市街道ルート(桧原線) …下図中青線 |
2.多摩尾根幹線ルート(道志線) …下図中黄線及び赤線 |
3.南八王子バイパスルート(秋山線) …下図中緑線 |