概要 【野岩羽線】 |
会津縦貫
道路南線 栃木西部・会津道路 |
会 津縦貫道路北線 | 大峠道路 |
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喜多方 付近 | 【日中線】 | 日中付 近 | 大峠米 沢方付近 |
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会
津縦貫北道路の喜多方―塩川 来月6日に開通 福島県喜多方市と会津若松市を結ぶ高規格道路「会津縦貫北道路」(13.1キロ)の喜多方―塩川IC(インターチェンジ)の4.7キロが11月6日に開 通する。 整備を進める国土交通省郡山国道事務所によると、喜多方―塩川ICは暫定2車線。会津縦貫北道路は既に塩川―湯川北ICの3.2キロが開通し、並行する 国道121号の交通混雑の緩和につながると期待されている。 未開通区間について郡山国道事務所は、湯川北―会津坂下河東IC(仮称)の2.2キロは2013年度中の開通を計画。会津坂下河東IC―会津若松市の 3.0キロは15年度中の開通を見込んでいる。 河北新報 2011年10月27日木曜日 |
日
中線 ▲![]() 『国鉄監修 交通公社の時刻表』1977年7月号より 日中線は,磐越西線の喜多方駅と耶麻郡熱塩加納村(現在は合併して喜多方市)の熱塩駅を結んでいた国鉄の鉄道路線である。典型的な閑散区間の盲腸 線であり, 1980年の国鉄再建法施行を受けて特定地方交通線に指定され,1984年に廃止された。線名は終点の熱塩の北方にある日中温泉に由来するが日中迄の延伸 も叶わなかった。日中線は改正鉄道敷設法別表第26号に規定する予定線「山形縣米澤ヨリ福島縣喜多方ニ至ル鐡道」の一部で、日光線・野岩線・会津線と結ん で東北地方南部を縦貫する野岩羽線構想の一翼を担うはずであったが遂に実現せず終わる。これが実現していれば少なくとも盲腸線では無く,ひょっとすると磐 越東線や米坂線,姫新線程度の重要度(改良しないとああなる。。),巧く行けば釜石線や肥薩線程度の重要度(まあ巧く行ってもこの程度かとw)で存続して たかと思うが残念である。呼子線や中津川線等とともに開通時を見てみたかった路線の一つ…。否,鉄建公団の手に掛からなかったと云う意味では大間線的な 「開通時を見てみたかった」類型となるかな。。果たして日中からどのルートで米沢に抜けるつもりだったのか。 其れは兎も角廃止されて20年以上経った現在,熱塩駅の洒落た駅舎が保存されラッセル車と旧式車輌が構内で保存される等してお り,09.04に偶々大峠道路を走破後見かけて訪れた際には,恰度桜の見頃な週末との事もあって結構集客があった。是非おカネを落とそうと周囲を見回して も自動販売機一つ無く1円も落とすこと能わずであったが普段は殆ど来訪者もないのであろう。大峠道路が全通したら此処も更に通過交通が減ってしまうと思わ れる。 現在の熱塩駅の様子。日中線記念館となっている。 ![]() 昔のホーム側からの駅舎の様子。 ![]() 記念館案内 ![]() 現在のバス運行時刻表(会 津バス) ![]() 日中線が辿り着けなかった日中千石沢迄の運転で一日6往復。日祝日運休で観光客の為に運行している訳ではないようだ。。 |
(旧)大峠 調査には廃 道日記(Riding・Report)に詳しい。レポはこの辺(山行が)やこの辺(ORR)が代表的かな。 纏めると,もともと伊達政宗が会津の芦名攻めの為に開いた間道があって,明治政府の要請でナウマン博士らの調査でカオリンや石膏の埋蔵が確認。 そ の後三島通庸が赴任し,開いた会津三方道路の一つとして大峠に馬車道が開鑿され,更に区域としては山形県側にある鉱物資源は福島側の喜多方資本で鉱山開発 され,大峠はその 為の搬出路として育成された様だ。山形側に最期迄未舗装区間が残ったのもそういう訳で福島側と関係の深い鉱山・峠だったようだ。 またカオリン(白土)は尾根伝いに東へ行った場所にある福島市と米沢市の境の板谷付近でも採掘されたので地質的にも近いのかも知れぬ。 あちらは未だ操業中であったが,こちらは廃墟と成っているようである。交通の利便性が操業条件に影響を与えたなら奥羽本線の起点が福島ではなく矢張り古河 であればよかったのにねぇw 白土は製紙原料として使われ,板谷から は北沼の三菱製紙八戸工場へ輸送された様だがその会社は既に操業を停止している様だ。 廃道日記にはセメント原料の石膏が採れたとの記述であるがカオリンはどうなったんでしょうかねぇ。。それ程貴重でもないのか? |